シャンティ老師の清談録 ~第三話~
”音”とは…? さて、今日の清談はどのようなお話がよろしいですかな。 いやはやしかし、私達が“音楽”などと呼んでいるものは、つまるところ音の群集なのです。 そうですなぁ、今回は“音”のお話に致しましょう。
先日は“音楽”についての談話でございましたね。
楽譜や数譜に連なる記号は、さまざまな種類の“音”を表しているわけでございます。
前回の談話、清談録二話では、メロディは言葉が変化したもの、と申しました。実は、これはいくつもある説のひとつでございます。 ではここで音について考えてみましょう。 人間はいつ音を認識しはじめたのでしょう? これも難問中の難問。誰もわからないのです。 その起源説のひとつに「自然模倣説」というのがございまして、人間が音楽を習ったのは自然からだという主張です。これはさきほど例をあげました、雷鳴とか風の音だとかそういう自然界で発生する音をまねるところから始まったという説でございます。 自然模倣説を唱える人々は、人類が音階(ドレミファソラシド)をつくるのに、このような鳥たちから学んだのではないかと仰るのですが、こちらの説もいまだに疑問が残るお話なのですよ。 しかし、まぁ、いずれにしても音楽の起源とやらをお話するには限界があるのです。 シャンティ老師
さて、憶えておられますかな。
と、申しますのは、最近の研究では歌を歌うのは人間だけではないということも言われるようになっております。
例えば象は低周波を発して仲間と交信するとか、イルカや鯨も歌を歌うとか、コウモリだって高周波を出して会話をかわしているようだとか、さまざまな説が飛び交っておるのですなぁ。
自然の中にあるものから、音を音として認識したのでしょうか。
つまり風の音、雷鳴、かみなりでございますね。自然界にはありとあらゆる音が存在します。
しかし人間にとっての最も最初の音とはなんでしょうか。
それは生まれたての赤ちゃんの産声ではないかなぁ、と思うのでございます。
いのちが誕生することをいのちそのものが主張する。
それが産声であるとすれば、これこそ人間にとっての一番初めの音だということができるのではないでしょうか。
さて、実はですね。昔、音楽起源説というのがございまして、世界中の音楽学者たちが、「音楽の起源はいったいどこなのか」と論争をおこしたことがあります。
音楽学者といいますのは、私も含め、相当ヒマなのかもしれませんなぁ。
いくら考えても答えがみつからないものに、延々と時間をついやすのですから。
また「言語起源説」があり、「性起源説」というのもあります。性起源説とは、たとえば動物には繁殖シーズンがございます。
きっと犬や猫などペットを飼われている方には覚えがあるかもしれませんなぁ。繁殖シーズンが訪れたとき、鳥や動物たちは求愛の行動の一つとして泣き声を変えることがございます。これを人間がまねたのだ、という説でございますね。
少しばかりお話はずれますが、シベリアとアラスカの間、そう、ベーリング海峡の下あたりにアリューシャン列島という島々がございます。そこで生息する鳥には、おもしろいことに、「ドレミファソラシ」と鳴く鳥があるとのお話を耳にしております。
また、インドネシアでは「琉球音階(ドミファソシド)」をまねたようなさえずりをする鳥がいるという報告もあります。残念ながら、どちらも私は聴いたことがないのですが、ハワイ島のコナという町で、ミ-―ソミーソと鳴く鳥を目にしたことがございます。
また我が家の庭には、ソーラミ ソソラと鳴く小鳥を時々みかけますなぁ。
それぞれ不正確ではありません、ただ、不十分なのでしょうなぁ。これらの説をすべてひっくるめてもまだまだ足りないのでございます。
音楽の起源が分からない以上、「音楽ってなんだろう?」という問いに答えることができないのです。
メロディひとつをとっても、その本質を突き詰めていくととんでもない深みに入っていきます。これがリズムとかハーモニーとか音色、音響というところに拡大されていくと、無限に広がっていくのですなぁ。
………と、まぁ、今日の談話はいかがでしたかな。
次回の清談は、また火曜日にお待ちしております。
それでは、再見。
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